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パパの育児休業体験記

子育ての多幸感、専業主婦の気持ち、周囲の反応と理解、そして協力。いろいろ感じた育休体験

執筆者と家族の写真
執筆者の横顔:
(1)団体職員(非営利団体含む)、(2)0~99人、(3)30代後半、(4)、(5)本人・妻・子2人、(6)平成17年1月~3月、18年11月~12月(5ヵ月間)

赤ちゃんとの初めての生活

黒川 滋さん

 私たち夫婦には急にやってきた妊娠だったので、何もかも準備なしで出産に向かっていきました。気後れして育児休業の手続も後手後手にまわり、ドタバタと出産、産後の休暇、育児休業取得でした。当時の上司とそのまた上司が両方とも女性だったので、育児休業は、上司たちの問題意識に沿って設定されたような感じです。過去、男性の先輩に取得した人が1人いたことも幸いでした。上司たちは1年取れ、と言ってくれましたが、保育園の入園の関係から妻の産休明けから4月までの3ヵ月にしました。
 私自身は小さな頃から、男だから、女だからということが嫌いで、育児休業は取りたいと思ってきました。育児休業を取れる環境を実に運のよいことだと受け止めました。
 育児休業制度が実質的に保障されない非正規労働者である妻にとって、夫である私の育児休業取得は仕事を続けていくために切実なものでした。正社員と非正規労働者との格差を痛感させられました。
 私の育児休業に最も抵抗したのは私の父です。猛烈サラリーマンとして働き、部下を容赦なく怒鳴ってきた父には、男が子育てで仕事を休むことは理解不能で、社会の掟破りに見えたようです。
 出産間際の妊婦に負荷や、医師や助産師が替わるストレスなどを考え、妻は里帰り出産はせず実家の応援なしに住んでいる街で産むことを決断しました。上の子の出産のときには、陣痛だけが弱く、力が足りなくて、1時間半は私がおなかに乗って押し続けました。上の子が最初に見た人間は私です。下の子は瓜を割るように元気良く生まれてきました。
 上司の計らいで、育児休業の前に、産後も使わなかった夏休みと組み合わせて2週間程度、休暇を取りました。育児休業よりも、出産直後のこの長めの休みが大切なことになりました。
 助産師から、産後の母体保護のために1週間は何もさせるな、2週間は歩かせるな、3週間は家事をさせるな、と命じられました。出産直後は、大量のおむつの洗濯と、助産師が指示する手の込んだ食事づくりに追われました。妻の父母は九州にいるので頼れません。私の力で家事を乗り越えなくてはなりません。さすがに音を上げて、2ヵ月ぐらいから紙おむつに変えました。
 それでも生まれた直後、助産院の日なたで赤ん坊の甘い匂いを嗅ぎながら昼寝する日々は、何よりの多幸感を得ました。力強くも弱々しい命を手に抱え、20年後の社会はどうなっているのか、などと考えさせられました。赤ん坊を抱えて終戦直後の中国大陸をさまよった私の祖父母の苦労なども具体的に想像できました。
 産後数週間の母体保護が必要な時期を夫婦2人で乗り越えられるように、この期間に仕事を忘れて生まれたばかりの子どもと向き合う時間があれば、もっと多くの家庭にふくらみのある育児をもたらすことになると思いました。
 その後に始まった育児休業期間は、何にもできない赤ん坊に、2時間ごとにミルクを20分かけて与え、30分ごとにおむつを替えて、それを24時間続けて、3ヵ月続けて終わりました。内心、育児休業で本をたくさん読み、あるいはデイトレードして一儲けしようなどと邪なことを考えていましたが、全くできませんでした。近所のスーパーに必要最小限の買い物に行くのが限界。家に縛り付けられない生活をしてきたので、育児休業を経験して家や地域からなかなか離れられない専業主婦の気持ちがわかりました。
 育児をすることが仕事の能力の向上に結びつくかのような議論があります。私にはどうだかはわかりません。私は同僚に子育てのため仕事で迷惑をかけていますが、同僚たちは暖かい眼差しで見守ってサポートしてくれます。それは育児休業を取るため、私の置かれた家庭の状態を認識する機会があったからだと思います。そして同僚たちは私のフォローをして人間のキャパシティーを広げています。しかし私自身は、仕事と家庭との綱渡りで、仕事や人間的な能力向上どころではなく、日々、子どもに金切り声をあげる回数が増えているのが悩みです。

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