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パパの育児休業体験記

手作りの離乳食をおいしそうに食べてくれた時は報われた瞬間。公園ではほろ苦デビュー

執筆者と家族の写真
執筆者の横顔:
(1)会社員、(2)5,000人~、(3)20代後半、(4)20代後半、(5)本人・妻・子1人(男児1人)、(6)平成19年4月~20年2月 (11ヵ月間)

理想と現実の間で

鈴木 祐之さん

 なぜ育児休業を取得したのかと問われたら「運命だったから」、そう私は答える。自然とそう思えるような条件が偶然にも揃っていたからだ。(1)妻からの提案であり理解があった、(2)祖母・曾祖母の協力が得られる環境にあった、(3)引越しに伴ない妻は初めての土地で暮らす・仕事が変わるという二重のストレスをサポートできるのではと考えた、(4)自分の仕事のきりがつきそうだった、といった条件と「自分ならできる」というなんの根拠もない自信に加え、育児の合間に自由な時間が手に入るだろうという不純な動機が多分にあった事は否定しない。
 会社の中では男性の育児休業取得の前例はなく、育児休業を支援するような独自の制度もない。上司等も突然の申し出に対応に窮しているようだった。強い反対があった訳ではないが、歓迎もされなかった。一方で自分達の両親の反応は協力的で、賛同してもらえた事は本当に恵まれていた。こうして私は育児の神に試されるが如く、怒涛の育児休業生活をスタートさせた。
 実際の育児は当初の想像とはかけ離れた過酷なものだった。とにかく手が掛かる、目が離せない、よく泣く。時間ができても何かを行う気力を持たせない。育児とはこうもハードなものなのかという現実を突きつけられた。せめてもの救いは、午前午後2時間ずつの1日2回昼寝をしてくれた事だ。しかしそのせっかくな自由な時間も疲れ果てた私は息子と一緒に寝てしまった。なにしろ夜中に2~3時間毎に起きる生活は初めてであり、寝不足との戦いが育児の最大の敵であると感じた。育児休業取得前は、息子が夜中に泣いても気付かずに寝ていた。取得後は真っ先に起きて対応するようになった事を妻に褒められた。それだけ私の体は徐々に育児体質の体に変化していった。離乳食を作る事にも苦心した。当初出来合いのベビーフードを中心に与えた私を妻は随分責めた。妻にしても様々な事が新しくなり余裕がなかった為であったと思う。理解は誰よりもあったはずなのに、人間余裕がなくなれば優しくなれない。私も慣れない育児に奮闘するあまり余裕がなく、我が家は険悪な雰囲気となり、悪循環に陥ってしまった。3ヵ月を過ぎた頃から、私も育児に慣れ、妻も新しい生活に慣れお互い余裕を持って生活できるようになった。手作りの離乳食を息子がおいしそうに食べてくれた時は本当に報われたと感じる瞬間だった。しかし公園デビューはほろ苦いものだった。平日の公園はママばかりであり、その輪に入れず、ママ達もこちらを警戒しているのか声を掛けてはくれない。また行政が主催する育児サロンのようなものにも積極的に参加した。男性が真剣に育児をしている姿を示す事、そしてその存在を周知させる事もまた自分の使命であると考えたからだ。そうした場では授乳を行うママもいるのだが、特に授乳室のような場が用意してあるとは限らず、自分の居場所に困ることもあった。公共の施設においても、すべての男子トイレにオムツを替える台が必ずしも用意されていないという現状もあった。
 育児休業を終え、異動により取得前とは異なる場に復職した。出来る限り育児に参加できるよう、引き続き残業はあまりできない旨を自然とお願いしている自分がいた。職場の対応は意外にも協力的であり、最大限に考慮してくれた。息子は今では私がいないと「パパは?」と探し、私の姿を見つけると喜ぶ。息子とは育児休業を取得した事で関係がより深まったと自負している。されど母の存在は強し。本当に追い込まれた時、息子の口から出る言葉は「ママ、ママ」。いまだに母乳を求める息子にとって、その存在はやはり特別大きいようだが、同性である息子はきっと素直じゃないだけなんだと、一人納得しておくとしよう。
 様々な好条件を重ねて立ち向かわねば、現時点での男性の育児休業取得という難題は乗り越える事がひどく困難である。しかしそこから得られる稀少な経験を手に入れる事は夫婦共同での育児という観点からは絶対に必要であると考える。なにしろ、ここまでして身を呈して体感しなければ、家事や育児をする事の偉大さなど男に分かる訳もないのだから。

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