パパの育児休業体験記 4-18

目次 | 前ページ | 次ページ 

パパの育児休業体験記

子どもの目線で生活することで、体いっぱいに季節を感じ、思えがけないを幸福感を

執筆者と家族の写真
執筆者の横顔:
(1)環境保全型会員制宅配業・会社員、(2)100人~299人、(3)20代後半、(4)20代後半、(5)本人・妻・子1人(男児1人)、(6)平成20年2月~4月(3ヵ月間)

宝物

竹内 康二さん

 息子が1歳2ヵ月から1歳5ヵ月までの2ヵ月半。妻と入れ替わりで育児休業を取得した日々は、私にとって仕事とはまた違った非常に濃密な時間でした。
 きっかけは学生時代に遡ります。当時参加した海外でのキャンプで、木に登って木の実をとり、子どもをあやし、小屋まで立ててしまう力強い現地の男性を見て、自分がいかに「生きる力」がないかを痛感し、家事育児の重要性に気づきました。社会人になり、デスクでパソコンとにらめっこする毎日。料理もろくにできず、生きていくための礎がないのに不自由なく暮らしていけてしまう状況に矛盾を感じていました。やがて結婚して子どもを授かり、育休をとりたい、家事育児をみっちりやって、生きる礎を築きたい、と思うようになりました。上司に伝えたのは妻が妊娠5ヵ月の時。「いいじゃない。応援するよ」と快くOKしてくれました。働くママが社内に多く、理解のある社員が多かったこともあり、順調に進みました。同僚から励ましの言葉を多くかけてもらい、恵まれた環境でした。

 妻の妊娠期間を一緒に過ごし、立会い出産を経て、わが子に対する責任感と愛情は増していきました。父親として、子どものことくらいは責任を持って、全ての面倒を見られるようになりたい。子育ての大変さを感じつつも、育休を取りたい気持ちはますます強くなっていきました。ただ、息子への強い気持ちは、妻も当然持っていました。私の場合は、妻の理解を得るのが一番のハードルでした。はじめは快くOKしてくれたはずでしたが、おなかに宿った時から息子の事を第一に考え、産まれた後も母乳を通して一心同体のような関係を築いてきた妻にとって、息子と離れるのは耐え難い苦痛だったようです。「私たち母子を引き離してまで育休をとるのか」という話し合いが育休に入る直前まで続きました。会社は後任を用意してくれ、引継ぎも残り少し、というところまできていました。それが、今になって「やっぱり育休とりません」とは、後に続く人のためにも言えません。妻の気持ちは痛いほど分かりましたが、最後は、説得というより、自分のわがままを認めてもらう形で育休をとらせてもらいました。

 そんなこんなでスタートした育休生活。育児は積極的にやってきたつもりだったので、ある程度はこなせましたが、家事をしながら息子をみるのはなかなか大変でした。
 「抱っこ!」と甘えてくることも多く、誤飲や転落など、目が離せない時期。ものさしをトースターでドロドロに溶かされ、リモコンの音量をいじられて童謡がマンション中に響き渡ったこともありましたが、なんとか大きな怪我なく過ごせました。
 振り返ると、育休中は結構疲れが溜まっていました。おむつ替え、離乳食作りなど、ひとつ一つの作業は誰でもできます。男性でも、意外と簡単にできます。ただ、簡単なことでも、それを毎日毎日、毎回毎回続けていくのは本当に大変なこと。息子の機嫌が悪い時。体調が悪い時。自分が疲れている時。どんな時も続けていかなければなりません。しかし、日に日に成長していく息子の姿を見ていると、大変さを上回る充実感がありました。
 また、子どもの目線で生活することで、道に咲く小さな花に気づくようになり、木々の芽吹き、変化する太陽の傾きなど、季節を体いっぱいに感じられたことが、思いがけない幸福感を与えてくれ、息子の笑顔とともに疲れを癒してくれました。
 4月から保育園に預けて職場へ復帰。二人ともひととおりこなせるので、仕事量にあわせて家事育児を分担したり、交代で息抜きしたりでき、多忙な共働き生活を乗り切るための大きなアドバンテージになっています。女性が子育てしながら仕事をするのは、心身両面で想像以上に大変です。お互いが逆の立場に立ったことで、相手の気持ちも分かるようになり、心身両面でサポートしあえることが、男性の育休経験の最大の利点だと思います。
 息子とゆっくり、じっくり向き合えた2ヵ月半。一日一日のめざましい成長を特等席で見ることができた時間は、何十年経っても忘れることのない宝物です。

目次 | 前ページ | 次ページ 

「仕事と生活の調和」推進サイト ワーク・ライフ・バランスの実現に向けて 〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1
電話番号 03-5253-2111(大代表)
内閣府 男女共同参画局 仕事と生活の調和推進室
法人番号:2000012010019