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パパの育児休業体験記

子ども達との料理作りで事件勃発。笑顔で頑張る妻に感動。育児・育自はこれからが正念場

執筆者と家族の写真
執筆者の横顔:
(1)会社員、(2)5,000人~、(3)30代後半、(4)30代後半、(5)本人・妻・子3人(男児2人・女児1人)、(6)平成15年10月~17年3月(1年6ヵ月間)※第三子(女児(5月生))の時に取得、(7)勤務先独自の制度で1年6ヵ月間の取得が可能

夫が父に変わるとき -2回目のプロポーズ-

斎藤 仁丸さん

 「僕は今、タクシーに乗っている。『早く!急いでくれ!』心の中で叫ぶ。仕事で東京に泊っていた僕の携帯に深夜、病院へ向うとの妻からのメッセージが入っていた。命がけの出産の場に向おうとする妻。どういう思いで電話をくれたのか。どうして電話を取れなかったのか。どうして昨夜のうちに自宅のつくば(茨城県)へ帰らなかったのか。自問と後悔の言葉が頭をよぎる。携帯が、鳴った・・・。
 『無事、生まれました。女の子です。』
 3人目は念願の女の子だ!という感激と妻のさびしそうな顔が同時に頭に浮かび、5分の車中がやけにゆっくり感じられた。---」
 コミュニケーションを大切にする社風があったので、冒頭の事件からすぐ上司や人事に相談に行きました。その中で一本の道が。それは「男性の育児休業」。その頃、僕はビッグプロジェクトの技術リーダーを任され、モーレツ社員の先頭を切ってバリバリ仕事をしていました。その陰で妻は仕事を辞め、長男、次男を育て、義祖母の介護をこなし、妻自身のキャリアへの不安を抱えながらの毎日を送っていました。ある晩、何かが僕の背中をちょっと押してくれました。
「僕が育休を取ろう!」
プロポーズ。2回目かな?
 育休パパの先輩も見つからず、人事手続きにも時間を要しましたが、民間企業では異例の平成15年10月から1年半という長期の育児休業が認められました。
 準備もそこそこに、育休と言う名の無休、無給の日々が始まりました。つくばは車社会なので、娘の授乳に妻の職場へ、上2人の幼稚園の送迎と1日に百キロ近く走る日が続きました。ペーパードライバーだったのに・・・。
 ベテラン保育ママさんの協力を得て上2人と遊ぶ時間も沢山取りました。仕事や新聞と切離された充実した時間に-女性のように身体的変化こそありませんが-何か確実に変化する自分を発見しました。パパお出かけの時「また来てね~」とは言われなくなったし。
 育休後半。パン作りを皮切りに子供達との料理に味をしめたパパは餃子作りを計画しました。上2人は野菜切りの大事な戦力。ところが相次ぐ流血騒ぎ(ちょびっとですが)。娘はもらい泣き。時計の針だけは絶好調。そして妻の「ただいま~」のご機嫌な声。餃子になると思われる具と皮を見つめる妻。沈黙。餃子の皮ならぬ暗黒に包まれていく我家・・・。
 その時、妻が光を照らしてくれました。笑顔に切替え腕まくり。パパのこねた皮に子供達の具をママが包んで、最高に美味しい餃子が出来ました。仕事で疲れているのに「もう一歩」。笑顔で頑張る妻に感動しました。夫が育休を取っているのが仕事上プレッシャーになっているはずです。諸々を飲み込んで前に進む妻の覚悟。頭が下がります。う~ん、ビールが美味しい!
 ところで、成功したチャレンジも勿論あります。幼稚園バザー用手芸品作り、上2人の勉強机DIY、わらべ歌と子守歌のレパートリー百曲、中高一貫校でのスポーツ講演会etc.。地域活動にも参加出来ました。
 何と言っても制度に恵まれ、帰る港が確保されていたお陰で充実した1年半を送る事が出来ました。職場復帰時の技術ブランクも、育休中に通った研究会での個人情報保護法のノウハウでトレードしました。復帰1年後には昇進も果たし「男性が育休を取った成果で」とスピーチしたところ、お世話になった方々皆笑顔を見せて下さいました。これからも職場、家庭、地域のバランスを大切にし、育休パパとして得た経験を活かして頑張りたいと思います。育児、育自はこれからが正念場ですから。
 お父さんたち!育休パパ7つ道具の1つ「軍手」を持って一緒に園、学校、地域活動に出かけてみませんか?

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