「同じ子を持つ親として大賛成だ」上司の一言に後押しされ、一年をかけて日常業務の中で引継ぎを行う
- 執筆者の横顔:
- (1)公務員、(2)1,000人~4,999人、(3)30代後半、(4)30代後半、(5)本人・妻・子1人(男児1人)、(6)平成19年4月~20年3月 (1年間)
私の一年間の育児体験
岩川 幸二さん
いわゆるバブル期の享楽的な雰囲気の中で学生時代を過した私は、当時DINKSという言葉も流行する中で、子どもというものに対してほとんど無関心でした。あるいは否定的な意識さえ持っていたかもしれません。
が、十年以上に及ぶ妻との暮らしの中で、元々妻が子どもを望んでいたということもあり、やはり子どもを作ろうということになりました。その時に私は、それならばいっそ自分も子育てに能動的に関わるべきだと考え、妻の妊娠と同時に育児休業を決意し、平成19年4月から一年の子育ての日々を体験しました。
育休の取得には、まず職場の理解が不可欠です。私は育休取得の約一年前に、直属の上司に育休取得の意思を伝えました。その折に上司が「同じ子を持つ親として大賛成だ」と言ってくださったことが大変有難かったです。
上司の了解を得た後に、私はその意図を職場のパートナー達にも伝え、一年間をかけて日常業務の中で引継ぎを行いました。育休の取得には、職場からのプレッシャーがあるとも耳にしますが、私の場合は、職場が気持ちよく育休に送り出してくれました。
この他、私が担当していたプロジェクトが折りよく一区切りがついた時期にあったことなどの好条件も、私の一年にも及ぶ育休を実現した要因であったものと思います。因みに私の育休期間中、職場では私の代わりに非常勤職員の方が採用され、人員の補充が行われていました。
さて、私の育休に家族達はどのような反応をしたかというと、妻は自分の仕事に対する熱意と職場への愛着があったので、子どもが出来ても仕事を続けたいという意向を持っていましたから、私の育休については大賛成でした。
また、四人の両親達は、私の選択に驚きならがらもそれを認め、積極的に私の育児に手助けしてくれました。また兄もしばしば我が家を訪れ、初めての甥の遊び相手をして、私を手伝ってくれるなど、家族ぐるみでのサポートを得ることが出来ました。
ところで、日々成長していくわが子の姿を目にする中で、気づいたことがあります。それは、生命というものには、自ら育つ力を宿しているのだ、ということです。そうであれば、親に求められるものは何だろうか。
それは、仕掛けることではなく、むしろ「待つこと」ではないかと思いました。子どもの様子をよく見て、そして待つこと。そうすれば、必ず子どもの成長の兆しというものを見出すことができ、その時にこそ、親の能動的なアクションが求められるものと思います。
同時に、この「待つこと」が、親として人間を成長させるのではないかとも思いました。子育ての毎日の中で、子育ては、親が育っていくものだと強く思うようになりました。
月並みですが、やはり「育児」とは「育自」ということでしょうか。他人(子ども)の為に尽くすことが自分を磨くというある種の逆説に、人間のあり方について興味深い体験と知見を得たように思います。
最後になりますが、妻は育休の期間中、私の育児について批判することは一度もなく、帰宅時間を早める、帰途に生活用品を買って帰るなどの協力を日々してくれました。さらには、週末に子育てを担ってくれ、私に「育児の休暇日」を与えてもくれました。
一年間、外に勤める妻が、専業主婦の私に示してくれた信頼や細やかな気遣いというものを心にとめておきたいと思います。
また、週末の息抜きに時間を割いてくれた友人や同僚達。毎日綴った体験ブログにコメントを寄せてくれた方々。公共の、あるいは民間、NPOなどの育児支援施設のスタッフの方々にも随分と助けられました。家族の以外の様々な人達が私の子育てを応援してくれたことを本当に有難く思っています。
復職後、半年が過ぎましたが、仕事もやはり面白いと感じています。大人同士の関係には、子育てとはまた違った張り合いがあります。
また、職場の女性らと子育てについて話す機会も増え、その中で様々な思いや意見を伺うことがあります。子育てを通過した先輩らの感慨、子育て中のワーキングマザーの悩ましさ、今後、仕事をしながら結婚や出産に向かおうとしている後輩らの複雑な思い。女性が長く働きつづける職場において、育児体験は、私に関わりに幅を持たせてくれるになったようです。
妻や上司をはじめとした多くの人の理解と協力の中で過すことの出来た一年間の子育ての日々。私の人生にとって、とても大きな体験と契機を与えてくれた小さな息子に、深く感謝しています。