妻とのケンカがきっかけで育児休業に。日々成長するわが子に、ときには感動の涙さえも
- 執筆者の横顔:
- (1)地方公務員・主任、(2)、(3)30代後半、(4)30代後半、(5)、(6)平成20年4月~6月 (3ヵ月間)
売り言葉に買い言葉
飯塚 宏志さん
きっかけは妻とのケンカからでした。
妻は福祉職。向上心にあふれ、日本の福祉に疑問を持ち、常に自己研鑽を欠かさず、国家資格をいくつも持っているスーパーウーマン。もちろん出産前から正職員です。
妻の口癖は
「女は妊娠出産により、仕事や私生活に制限を強いられる。不公平だ!」
それに対し私は
「そうね。」
と無責任な対応。
その妻が結婚2年後にめでたく妊娠。
念願の第一子は女の子。育児休業は妻。夜泣きに苦労したのも出産後最初の一週間くらい。二ヵ月を過ぎると「まあ、大変だけど、なんとかなっている。」というのが私の感想でした。
私の生活は、子供が生まれてもあまり変化がありません。好きなサッカーも今までどおり。週に2回の夜間練習。週末には試合。そして、たまにはゴルフ。忘年会に新年会。こんな男、多いですね。
妻が、そんな私に不満を持つのは当然です。なにせバリバリのスーパーウーマン。そのキャリアが育児により中断されているわけですから。そんな妻が言った一言から全てが始まります。
「男はいいよね。子供ができても何も変わらない生活を送れて。楽しいでしょ。私はちっとも楽しくない!」
ちょっとイヤミっぽいと感じた私は、
「なーに言っちゃってんの。そんな思いじゃいつも一緒にいる子供がかわいそうだよ。育休うらやましいね。長い休み俺ももらいたいなー。」
さらに、
「俺ならそんなマイナス気分にならないね。育休楽しそー。頭アフロにでもしようかな。」
と、言ってはいけないことを発言。
当然妻は激怒。売り言葉に買い言葉。なんだかんだあって、最終的に「次の子供は私が育児休業」ってことになっていました。
そして第二子を妊娠。育児休業の誓いから5年の月日が流れていました。とぼけて無かったことにしようとしていた私に、妻は
「覚えているよね。準備よろしく。」
「おう、もちろんさ。」
妻といろいろ話し合った結果、月齢9ヵ月までは妻が休み、仕上げの3ヵ月を私が休むことになりました。第二子はやんちゃな男の子です。
決断した私は、まず直属の上司に報告することにしました。(ダメとはいわれないだろうけど、嫌な顔するのかな。)と複雑な心境。
その上司は
「育休?うん。良いことだね。」と一言。
それからはとんとん拍子。わが職場では初の「男の育休」。「初男」であります。次世代育児行動計画の追い風もあり、周りは応援ムード。「すごいねー。」やら「がんばって。」など。まるでアポロに乗りこむ宇宙飛行士にでもなったような気分です。
諸手続きを済ませ、育児休業開始一ヵ月前には、代わりの職員が送り来まれてきました。(なんて素敵な人事。)十分な引継ぎをこなしたのち、いよいよ月へと旅発ちました。
「休み中、何して遊ぼうかな。」
なんて考えていた私。勘違いに気づいたときはもう手遅れです。
6:00朝の離乳食、ミルク、おむつ交換から始まり、家族の朝食用意。お姉ちゃんの保育園の準備をし、赤ちゃんを連れてお姉ちゃんを保育園へ、帰るともう二回目のミルク。おむつ。10時前にはお昼寝をさせ、その間に食器を洗う。洗濯物たたんで干している間に、赤ちゃん起きる。昼の離乳食。ミルク。自分の昼飯食べたら午後のお昼寝。無残な部屋を片付けている間に・・・・・・。気づくと夕方。保育園にお姉ちゃんを迎えに行ったら、晩飯の準備。妻の帰りは9時・・・。部屋には洗濯物が山と積まれ、キッチンのシンクには哺乳瓶や食器があふれていました。毎日があっという間に過ぎて行きました。
我に返ったのは、育休開始から一ヵ月を過ぎてからでした。少々の時間が出来た私は、日々成長するわが子に気づきます。
「昨日まで、すっ転んでいたふすまの敷居を今日は慎重にクリアーしている!」
「おお、テーブルの上に登るのは良くないが、下りるときのアクションが合理的だ!」
「ん?俺に向かってなにかアピールしている。こんなことは初めてだ。しかし、まったく理解不能!」
自然に笑顔がこぼれます。ママへの報告も楽しみの一つです。
「なにー!もうドリブルを!天才だ・・・。」
ときには感動の涙さえも。
息子と二人きりの時間。かけがえのない息子を独り占め。へその緒はつながっていなかったけど、目の前で泣いている息子は、間違いなく私の息子です。
「育児をしない男を父親とは呼ばない。」
一昔話題を呼んだキャッチコピーです。
「育児が男を父親にしてくれる。」
私はそう思います。
おっと、息子が夜泣きです。それではこの辺で。