パパの育児休業体験記 3-05

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パパの育児休業体験記

難しい出産、支えられるのは自分だけ。妻とじっくり話し、共有した未来像。家族はやっぱり宝物

執筆者と家族の写真
執筆者の横顔:
(1)サービス業・事業本部長、(2)0~99人、(3)30代前半、(4)30代前半、(5)本人、妻、子2人(男児1人(0歳)、女児1人(2歳))、(6)平成20年8月~9月 (2週間)(7)勤務先の制度として、毎月の検診にあわせて連休取得が可能

家族は宝物

川島 光博さん

今年の6月それはいきなりやってきた。
お腹の赤ちゃんに脳室拡大の疑いがあります。と。
2年前長女が五体満足で誕生していたこともあり我々夫婦への衝撃は、はかりしれないものだった。
その後の検査で、水頭症と二分脊椎の合併症が確認され誕生後の障がいについても説明がされた。

出産は、帝王切開でさらにすぐの複数の手術が必要であり対応できる病院がなかなかみつからなかった。
しかし、妻の実家のある高知県で対応してくれる病院が見つかり里帰り出産を選択した。

この時、私は出産時から出産後の妻のケアをできるのは旦那である私だけだと思い一緒に高知に帰り育児休暇を取得することを決意した。

幸い、私は子育てに精通する職についているため、社長もすぐに理解を示してくれた。とはいっても立ち上げてまだ1年未満のベンチャー企業であり私も事業本部長という立場であるので一時的であっても抜けることは、会社へ対し迷惑をかけるという気持ちが強くあったが社長はじめ会社の理解があり出産予定日前に引き継ぎを完了させ、継続して確認が必要なものは、ノートパソコンや携帯メールに質問連絡をしてもらうことで対応することとした。

通常分娩と違うため、ドクターからの複雑な説明も多く妻は精神的不安定になっていたので、育児休暇の話をしたときはとても喜んでくれた。一方で今後の職に問題がでないのか妻として不安があったようだが、幾度も今後のことを妻と話をすることで不安も払拭できた。何よりも今回の育児休暇をとるきっかけで妻と多くの話をする機会が増えたことは間違いない。

8月26日無事長男は誕生した。障がいがあることがわかった日に名前は決めていた。どんなことがあってもいつでも一緒にがんばっていこう、一心同体だよという気持ちを込めて一心(いっしん)と名付けた。

一心は予定通り出生後すぐに手術室に運ばれ、(私も同時に呼ばれ一心の体の状態を確かめ同意書を記入し)水頭症のシャント術と二分脊椎の手術が開始された。

出生後わずか数時間の一心が約半日に及ぶ大手術に挑み見事手術は大成功し我々はホッとした。その後、誕生したばかりの一心の入院手続きや術後の経過説明など動けない妻に変わりすべて私が対応した。

その後、一心の術後の経過がよく予定より半月も早く退院を迎えらた。退院後は、妻の両親・4兄弟が協力をしてくれるということで、一時東京へ戻り、今は育児休暇を終了し検診などにあわせて公休日を調整し必要時期に高知に戻るようにしている。

今回育児休暇を取得し感じたことは、とにかく出産は妻への負担が多いこと。確かに、普通分娩でなかったからかもしれないが、上の子が生まれる時も出産の大変さは、わかっていた。

休暇中には、妻とたくさん話をする機会もあり今後の子育てについても互いに意見をゆっくりじっくりと話し合うことができた。出産の時こそこれからの未来像を互いに話し合い意思の疎通を図るべきでありそれが、夫婦円満にもつながると感じた。

今の日本にはまだまだ育児休暇の取得が復帰後の出世に響くや取得することは悪いことだという雰囲気があるのが現状だと思う。
現に、育児休業を取得すると友人に話をした時、口をそろえていい会社だね。とみんなが言う。

こういう声がある以上日本は、出生率も下がり離婚数も増え続けると思う。これからの日本を支える若い命と力を担保していくには、もっと育児休暇取得が義務づけられるほどの変化が日本には必要なのではないか。

職場に復帰後も公休の調整など会社側が全面的に理解・支援をしてくれている。これが当たり前になることを私は望む。

家族は宝物。育児休暇を取得したことで、さらに強く感じた。
気づきの多い休暇期間であった。

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